ひきこもりの番組を見た後に書いたこと

最初の方は残念ながら、ながら見になってしまい
ちゃんと見ていないのだけれど。
ひきこもり は、他人事でないと思ってる。
それは、番組の最後で司会者がまとめで口にした
我々1人1人が自分のこととして考えなければならない
というような、自分も社会の一員として、みたいな意味でなくて。
私もいちおう体験者と言えるのだから。
とはいえ、私の場合、中途半端なひきこもりだったのかもしれない。
そして、今だって、ひきこもりではないけれど・・・
どこか中途半端な状態。
番組に出演していた一人の体験者の方が、
ひきこもりの人にはグレーがない
といったことをおっしゃっていた。
(中間がない。0か100か。
完璧にしっかりやろうとするか全くしないか
のどちらかである、といった意味。
白黒でなくグレーが中間。)

もし、そうであるとするならば、私は本来ありえない
グレーのひきこもりなのかもしれない。
その反面、私は、私自身のことを
「白と黒しか無くてグレーがない」
という風に言われたこともあり
自分でもそういう面もあるような気がするし。
出演者の方の「グレーがない」の言葉が表すものは
自分なりによくわかる・・・
実感もできるつもりだし、うまいこと言うなあと思う。
ああ、たしかに私も体験者だし。と納得できたりもする。

私は周りに恵まれて生きてきている。
誰かに激しく傷つけられたりしたこともなければ
誰かにしっかり愛されたことがないわけでもない。
強い人間不信は経験した記憶がない。

番組の中で、
ひきこもるきっかけも人間関係なら
ひきこもりから抜け出すきっかけも人間関係だ、
という言葉があった。これにも納得!
だけど、私自身の事で言えば、
ひきこもるきっかけに人間関係は
直接的には絡んでいないと思っている。
抜け出すきっかけにも。

私も同じだと思うのは、自分と社会との関係においての
自己否定のようなもの。
幸い私には、常に、
こんな私を完全否定しないでいてくれる人がいてくれていた。
だから、ひきこもることなんてなかったのかもしれない。
ただ・・・

ひきこもりには、いちおうの定義がある。
ひきこもりは、「状態」である。

ほんとうに、グレーはないのだろうか・・・・・・

いわゆるひきこもりの定義には該当しないけれど、
いわゆる「社会の一員として」生きることが難しい人。

いちおうは、人や社会と接してはいるけれど、
“世間一般”の“常識”的に見て“普通”の生活をしていない人
っていると思う。
ま、“客観的に見た”わたし自身のこと、なんだけど。
わざと、くどく“”をつけて並べ立ててみた言葉。
否定するつもりは一切ないけれど、
いつもひっかかる言葉。生きていて。

そもそも私が、
ひきこもったり、
こんな風にブログ作ったりするような人間になったのは
それ(“”)らにすんなり溶け込めない自分がいるから。

今の世の中、いろんな価値観があり
様々な考え方や生き方してる人達がいる。
そして、それが少しずつ受け入れられてきている。
そんな感じがする。
私の周りなんかは、理解のある人が多く、そのおかげで
私はあまり周りの「人」から否定されずに生きている。
とても幸せなことです。ありがたいです。
けれど、いちおうこの社会に生きてるひとりとして、
社会、メディアなんかと接すると、
自分の状態
が、いかに社会にとって役立たずであるか、
それこそ害虫であるかを考えずにはいられない。

私に面と向かって、私を個人攻撃して
「おまえは役立たずだ、クズだ!」
と言う人は、幸い一人しかいない。
そして幸い、その一人は、この世の中でもしかすると一番
私を愛してくれている人かもと思う。
私に、役に立つ存在でいて欲しい、クズでいて欲しくないと
一番願っているのは、たぶんその人だと思う。
(…唯一の家族なので…)

ハッキリ言って、基本的に私は無害です。
誰かに何かに害を与えるほどの力は持ち合わせていません。
もしかすると、私が一番害を与えているのは・・・
私を一番必要としてくれている人なのかもしれません。

パラサイト。
パラサイト・シングルという言葉をよく目にします。耳にします。
今日の番組でも出てきました。
ひきこもりは、状態で、その背景に様々なものがあり
社会と切って考えることはできない。
だからこそ、誰もが自分のこととして考えるべきだ。
誰もが、この社会に生きているのだから。
そんな話の流れも感じられる番組でした。
たしかに。そうでしょう。そう思った。

番組の終わりで、人それぞれのケースがある
というような言葉を司会者の方が言っていて、
それはうれしかった。
(「人それぞれ」という言葉では、たしか
おっしゃってないですが。)
「人それぞれ」というのは、私が、しょっちゅう使う言葉。
大事だと思ってること。
思考するときの一つのテーマみたいなもんでもあるし・・・。
もちろん、人には共通の、通じる何かがある。
通じ合うというのは素晴らしい。
けれど、それぞれ違うからこそ、素晴らしいのでしょう。
違うのに通じ合う。

現実的に、全ての人と通じ合うのを実感することは
難しいことだと思うし、必要なことではないのかもしれないと
個人的には思っています。
けれど・・・・・・

「それぞれ」同士が出会い、知り合ったり影響しあう
通じ合うようなことで、
すべての存在は成り立っているわけだから・・・


役に立たなくてもいいから、クズでもいいから
存在させていて。
ただ、誰かと、何かと、通じ合うことはしていたい。
ごく自然に。

ただそれだけでいい。


それだけではダメなのね。この社会で存在してゆくには。
そう感じてしまうような社会だから、
そう感じてしまうような心を自分が持っているから、
ひきこもってしまう。
・・・と、私は、思う。

そんな社会が悪いとか、
そんな心を持つような人が悪いとか、
そんなことが言いたいのではなくて。

今のこの社会にだって、素敵なことはたくさんあって、
どんな人の心にも 同じことで・・・
だから、
素敵なことがたくさんあるなら あるから
嫌な面とかたくさんあってもいいじゃん。
社会にも 人の心にも。
プラスがあるならマイナスもあるのが自然。
そう思いたい。

私が、ネット上で、迷いを持ちつつも
どんどんマイナス思考も出しているのは、
そんな私だから。
以前の私は、マイナス思考のようなものは
人を不快にさせたりするし
表には出さない方がいいと思ってる部分があった。
今だって、そうだ。
でも。
ネット上に存在させてる。
入ろうと思えば誰でも入れる。通じてる。

けれどもちろん、全ての人と私が通じ合うことは
所詮無理だし、そんな必要もないし、
私自身望んでない。

縁。
この言葉、好きです。昔からずっと。

自分自身が、このブログも含め
ず~っと今のままで良い、とは思ってない。
けれど、今のままで良くないとしても、
今、存在しててもいい。そう私は思ってる。
それこそ、
役立たずのクズのページの集合体・コンプレックスの固まり
でもかまわない。

もしも傲慢な想いを持ってかまわないのなら・・・

いつの日か、
自分のことを好きになれずにいる人が
自分のことを好きになれない状態になってる人が
たまたま
こんな私のクズのような言葉を目にして、
それでも、もし、
ちょこっとでも気に入ってくれたりしたら、
その人は自分を好きになれる
自分を好きである状態にもどれる
・・・かもしれない、
そんなことがあったら
それは、わたしの
ほんとうのうれしいこと
だと。わたしの心は、どっかでそんなこと感じちゃったりして。

私が
書くこと・表現することを好きであるのは
わかりやすい事実なんだけど、
自己表現とか・・・
そういう目的のようなものもないことないんだけど、
とにかく、
存在していよう。
みっともなくても。

へたくそだけどうたうんだ
へたくそだからうたうんだ
それでも
自分なりに
自分なりの伝え方で やり方で
今の自分の出来る限りで
できることなら できるだけ
伝わるように伝えるんだ



ということで、
なんども消し去りたい気持ちになりつつも
自分を世の中に ネット上に 存在させ続けているわけです。

具体的な自分の生き方、生活なんかは
あまりちゃんと書いていないので、
いい歳してどんなに私が半端な人間であるかは
そんなにバラしてなくてズルイかもしれないけど。


もしも、
ひきこもりやなにかで
自分の存在に疑問を持ってしまうようなとき
なんかのはずみで
ここに来てくれる人がいらっしゃいましたら・・・
私自身、世間の目で見たら、
存在を疑問視されてしまうような人間なんで、
たぶん、いわゆる世間の常識的視点のみで
何かを感じたり考えたりすることはないから・・・
そんなヤツだと想ってくださると、ありがたいかなと思います。
普通に生きてるぶってるけど、
いわゆる「普通」 を尊重しつつ、
普通に考えてあまり好まれない社会人として生きてます。


はあ~。
「普通」っていっぱい使ってしまった・・・
この言葉使うのって、難しい。抵抗アリマス。
だって、なにが普通であるかなんて、
それこそ「人それぞれ」だから。
ちと疲れた。

そうそう。
私が、どこか中途半端なひきこもりにしかなれないのは、
ものすごいなまけものだからです。
ひきこもる って、けっこう大変なことだから。
なまけものの私には、それすらしっかりとはできないのです・・・。


・・・この記事、長いですね。
読みづらいかもしれません。ごめんなさい。
だけど、ひきこもり に関しては、ほんとうは
前から、言葉にしてみたい気持ちが強くあったので
番組で刺激を受けて、単純に反応してしまいました。
まだまだ中途半端な書き方しかできない私
なんだけれど・・・。
こういうとこも含めて、わたし、なので。どうぞよろしく。


最後に。
ひきこもり は、一般的には、社会問題として扱われてると思います。
だけどそれは、たしかに問題ではあるけれど、
それは文字通り 問い であり、
ただのやっかいなわるものというものではない
個人的に思っています。
たしかに悪い面もないことはないと思うし、
実際その渦中の人達は周りも含め辛かったりするでしょう。
だから無責任なこと言えませんが。
ひきこもりの存在そのものが
社会にとって有害なだけだなんて言えないと思っています。
その存在を考えることが
大事なひとつの(価値ある)テーマになるうる
…そのように感じています。
楽曲の主旋律のことをテーマと呼ぶなら、
渦中の人々は、いわば自分が
大事なメロディーの大切な音符のひとつである
と想ってもよいのではないでしょうか。
苦しんでるとき、こんな軽い表現を目にすると不快に感じたり
あきれたりする場合もあるかと思いますが・・・。
でも、もしも、
ひきこもりの当事者の方、そのご家族や親しいの方々が
目にしてくださることがあるのなら・・・の想いも持ちつつ
あえて、書いてみました。
ひきこもりに限らず、どんな問題にもあてはまるかも
と思ったりもしますが・・・。
音符ひとつひとつが大事であると同時に、
音符ひとつでは、メロディーにはなりません。
それぞれ が つながる って、
そんなイメージでもあります。私の中では。
たったひとりが、かけがえのない存在だけど
たったひとりの責任であることは絶対にないので・・・。
安心して、辛くなってる時があってもいいと思うし、
時には
安心して(言葉が適切ではないかもしれませんが)なまけても
大丈夫♪と私は思います。

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