溺れる者が掴むのは…?

「溺れる者は藁をも掴む」て諺がある。うまい言葉。真実を捉えてる。
なぁんて思うけど。この諺にヘリクツ対抗!? いざっ!

溺れる者は我をも掴む。こんな真実もあるかも?
弱い弱い人間がナニカに溺れたり危機に瀕したりして、
全然頼りにならない藁のような我にすがりつき、必死でしがみつき
我を掴む。自我を掴む。自分自身を掴む。それこそ必死で。懸命に
あがく。もがく。ジタバタと。
溺れた時…。
ナニにしがみつきたい、すがりつきたいって、そりゃあもう
自分以外の 丈夫なもの頑丈なもの強いもの以外、ナニモノでもない
でしょう? だからこそ、
溺れる者は藁をも掴む なんて 滑稽な諺がうまれる。
んで、だからこそ
「溺れる者は我をも掴む」なんて道化た諺うまれたり…しない???
なぁんて。
だけどね、思うんだ。想ってしまう。溺れる者は藁をも掴む、の…理想。
藁であり我である ふたつ の関係を描いた 真実である なんて事。
藁も、溺れてるんだ。実は…。

溺れる者が藁をも掴んだ時。その時、魔法がかかる。奇跡が起きる。
頼りがいのない藁が 強く、頑丈に、丈夫になるんだ。大きくなるんだ。
でもね、藁だから、沈まない。重くはならないんだ。軽いまま、
頼りがいのある藁になるんだ。

溺れる者が藁を掴んだとき、藁は新たな我を掴む。

その時。溺れる者は…溺れる者も、新たな我を掴んでるのさ。

掴み合い、掴み合う。

弱い両者が掴み合った時、
そんな奇跡がうまれたら なんだか素敵と思いません?

今、我を掴もうと必死…ひとりでなく…孤独でないから1人で必死。
そんな今の自分。とりあえず今は、そんな今です。ひとつの気持ち。

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