未知の音楽

2007年6月2日の読売新聞・夕刊
「私のいる風景 作曲家・武智由香(たけち・ゆか)さん」を読んで♪
(以下、新聞からの引用部は【 】で括ります)

世の中には、いろんな音楽がある。私はあまり知らないけれど。
今年の5月19日、横浜市の神奈川県立音楽堂で、
「西行マンダラ」という作品の公演があったそうだ。
【今回の作品は、古典声明の「曼陀羅供」をベースにした90分ほどの曲。
その約半分を龍笛、笙、箏、打楽器などを加えて新たに作曲した】

そんな武智さん。
【歌(メロディー)に伴奏(ハーモニー)が付く伝統的な歌曲スタイルは
「言葉があまりにあからさまで恥ずかしい」】
とのこと。過去には、
【短歌をもとに、水音の響きを声の重なりによって浮かびあがらせようと試みた。
「言葉の影が響きの中に残る、そんな音楽が理想」と言う。】

(↑この表現自体も、なんかカッコイイ~♪)

彼女の音楽の世界、独特な感じがするけど、どんな音楽なんだろう…

短歌を私はまともに読んだことがないし、よく知らないけど、以前、
友人の影響もあって、けっこう楽しみながら自由に(好き勝手に)
詠んでいたことがある。といっても、おあそびにすぎないけど。
短歌のリズムというか音が好きだ。

「西行マンダラ」のテキストには西行の和歌を使うのが条件で、武智さん、
【古典声明と違和感なく同化しつつ、新しい響きによって
西行の言葉が持つ深みを現代の聴衆にどのように伝えるか…(省略)…
試行錯誤の連続】
だったらしい。

音楽だけでなく知識のない私には、記事を読んでもイメージが浮かびにくい。
和歌というだけでなく、西行さんのことも知らないし…。
そもそも「声明」というのも、聞いたことがある程度の言葉。記事の
【僧侶が仏典に節を付けて歌う伝統音楽の「声明」は、
「博士」という独特の記譜を用い、口伝によって伝えられる。】

という文を読んでも、
へ~「はかせ」って、そういうコトバでもあるのね~
口伝によって伝えられるって、なんだか妙に納得♪といった程度しか想えない。
だからこそ、実際にこの作品、聞いてみたい・見てみたい・感じてみたい
と思うのだが。
(辞書で「博士」の記譜としての意味を読んだら、これまた楽しそう!
実物見たい! と思った。言葉を目に見える音にする表現。
楽譜ではなくて…。う~おもしろそー♪
脱線だが…西洋にはネウマというものがあるらしい。ほほ~う。)

【言葉がどのように変容しても、人の声で歌われるかぎり、
それは人間の耳に確かに届く】

なにも知らない私でも、この言葉は、すんなり入ってくる感じ。
そして、ここに引用はしないが、公演の様子を伝える文章を含め、
この記事全体を読みながら、自分で勝手に
なんとな~くイメージしてみた「西行マンダラ」の響き。
私にとっては全く未知の音楽の世界。それなのに、
もしかすると意外とナツカシイような錯覚を起こしそうな気もしてしまう。
よくわかんないけど、重なり合う声の響き、楽器の響き、言葉の響き
それらの共鳴は、なにかの鳴き声のように、なんだか
ビリビリきそうな感じがしてしまい、
読んでて少しドキドキしたのでありました♪
(なんとなく…わたしもいちおう日本人であるし…わかんなくても
なにか感じられるような気がしてしまいました。)

正直なところ、消化不良な感じもあり、せっかく記事から伝わる
ワクワク感のようなものを、自分の言葉でうまく伝えられず悔しく…
記事を全文紹介したい気持ちになりますが…う~ごめんなさい!
(もし実際に、この公演を体感できたら…☆
それを言葉にできるかわからないけど♪)

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