言葉 自由

2007年5月8日付 読売新聞文芸欄「良寛さん」の定本 刊行 の記事を読んで。
(以下、新聞からの引用部は【 】で括ります)

普段、本を読まないのだけど、文芸欄に反応することがある。
見出しの【型より気分 言葉は自由】に引かれたのかな。
玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)さんという作家、僧侶の方が書いた記事で
正直なところ、私には少し難しかった。どこまで理解できたかわからない。
でも、部分的に印象的な文章があった。
【自分がどうしてそのように書いたのかはお釈迦さましかご存じない】
といった内容の詩を良寛さんは書いていたそうだ。
【書いた本人と書かれた言葉とをガチガチに必然的な縁として捉えるのは
やめてほしい】
良寛さんといえども
【その時その場でどういう言葉になるかは自分でも説明できない】ということらしい。

私は良寛さんのことを知らない。なんか学校でも習ったような気はするけど
有名な偉い人という、なんとも大ざっぱなイメージしか残ってない。
我ながらずいぶんヒドイ忘れっぷりだな。
【作品意識はかなり強く】いろんな書、詩、歌作りを好んでたのかあ…。
なんか、意外とフツーの人だったのかもしれない。
なんて思ってしまった。これって失礼? いやいや失礼なこと言うつもりはない。
ただ、フツーに立派な表現者だった人なのかな、と。
だけど、なんとなく遠いイメージが、近くになった気分。
良寛さんも、気分によって「我」と「吾」を書き分ける等してたとか。
そうだよね、気分、気分。そんなもん♪
【型よりもその状況での「心中の物」こそが大事であり、表現の場とは
言葉で説明できない不思議な磁場だったのである】

表現って、どこまで自分の意思が入ってるのか、時々わからなくなる。
間違いなく、自分の強い意思、意志で言葉を書いてる!
て場合もあるけれど、その時に感じたもの、引っ張られた感覚、
それこそ 気分、なんかで書いてしまうこともあるから、
無責任かもしれないけど、自分で自分の言葉を必ず説明できるなんて言えない。
だからこそ、
【緻密な言葉を産みだしながら、しかも言葉から自由であることは、
そう簡単ではない】

そんな風に書かれると、自分が言葉から、もし自由になれなかったとしても
それはそれでしかたないのかも、なんて思う。甘えかな。でも簡単じゃないよ。
とことん こだわって“作り”つつも、自由。なんてさ。
だから良寛さんのこと、立派な表現者だと感じ、フツーに近く感じて、
やっぱり遠い気もする。

こんな私ですが、自由に言葉の表現、試行錯誤中。まだまだじゃ~~~!!
(気分によって、僕だの私だのいろいろですが、ただの気分ぶんぶんです~♪)

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