あるおんなのこのものがたり

小さい頃、本が好きだった。
だから単純に、自分も本を書く人になりたいと思ってた。

いちおう物書きを目指してた時期もあった。
とはいえ、全然努力不足で、投稿とかしなかったし
だんだん本を読む事もしなくなった。

いつの頃からか本は読まない人間になっていた。

それでも本が嫌いとかそういうのはなくて。

新聞には目を通して、気になる記事等は読む。
書評も意外と読む。なぜか(笑)
本を読まないくせに。


新聞は届くから好きだ。
自分が読む記事は選べても
掲載記事は選べない。その日どんな記事が載っているか
それは届かないとわからない。
もちろん大きな事件とかあれば、それが載ることは予測できるけど。

新聞とはシンクロを感じることが多い。

実際、昨日の早朝に書いた文章に通ずる内容の記事が
昨日の新聞に載っているのを昨日の夕方知る。
こういうことは、おととしくらいから増えてて
…しんじつとのやりとりがひんぱんになってからだ…
頻繁かどうかは時期にもよるけど、珍しくなくなった。
最初は不思議な嬉しさを感じてたけど、
今は、嬉しさというより安心する。ほっ と。


引きこもりだった時、父親は言った。
「いつか世の中の役に立てるようになるといいね」
甘い親だろうか。
引きこもりの娘を責めなかった。
当時、母親には(いわゆる会社勤め等ではない)“仕事”があり
留守することが多かった。手抜きでも最低限の家の事を娘がしてたし
父親にとっては娘がいてくれるのが嬉しかったようだ。
「この家にいたいなら、ずっといてもいい」
親ならそんなことは本当は言ってはならないのかもしれない。
それでも言葉にしてくれたことが娘には嬉しかった。

小さい頃は童話作家を目指してた。
その後、童話というわけでなく、物書きになりたいと思ってた。
それを知ってるから、父は
童話のコンクールなんかの広告を知ると伝えてくれた。
ちょっと胸が痛んだ。
もう物書きは目指してないんだ。だから無愛想に流して聞く。


声の表現。

電話のバイトをしたこと、それが楽しかったこと
もともとテレビもラジオも好きだったこと…
引きこもる前から
書くことではなく、声の表現に憧れてた。


引きこもりから脱出した後
電話の仕事で、声を通じて人とつながる喜びをどんどん知ってゆく。

言葉で 人と 人が つながる。


本は絶対に素晴らしいものだ。絶対否定はしたくない。
だけど「私は本を読まない」

私が本になる。

作家ではない。言葉そのものになりたい。

伝えるだけでなく 送るだけでなく
受けとることをしたい
そして
また
伝えて…

やりとり を したい。

コトバ デンパのように 飛び交う。


本と読者は友達関係と言ってもいいと思う。
それでも自分は、本とは友達にはならない。

今の自分は、人と友達になってゆきたい。


本は読んだ方がいいと思う。どう考えても。

まるで仲間を信じるように感じる。

ただ、
自分は、考えずに 感じるまま動いてみたい。
感じるまま書いてゆきたい
声にしてゆきたい
伝えたい

そして

受けとりたい。


親は許してくれると思う。こんな自分を。


そして。
今、新しくうまれつつある自分のことも。

ずっと家にいていいとは言ったけど
ずっと家にいろ なんて一言もいわなかった。
人の役に立てるようにとは言ったけど
職に就け なんて一言も言わなかった。
父は

娘が新しくうまれかわっても許すだろう。


コトバになっても そして…


…自分にとっての愛する真実のもとに飛び込んでも。
しんじつとのであいはらじおだった

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