「障害」と呼ばれるものについて

障害。妨げになるもの。壁。

「障害者」という言葉がある。「健常者」という言葉がある。

健常者と呼ばれる人間で、
自分の人生に なんにも障害を感じず生きている人は
果たしてどれくらいいるのだろうか?

私は一応 健常者 ということになるのだろう。
日々、落ち込んだりしつつも、
周りの環境等には恵まれてると思うし
とてもありがたいと感じ、私は幸せだと思う。
でも、
生きていて 障害のようなものは、私の日々にも当然ある。


いわゆる障害を持つ人にも いろんな人がいる。
心や体…脳、内臓の障害。

目に見えて わかる 障害もあるし、
目には見えず わかりにくい 障害もある。


高次脳機能障害 という言葉がある。脳に障害があるケース。

現在公開中の映画『ガチ☆ボーイ』では、この障害のなかの
「記憶障害」を持つ大学生が主人公。
脳の記憶を司る部分に障害があり、記憶の維持ができない…

これは、目には見えない わかりにくい障害ではあるけれど
本人や周りの家族等にとっては、
「憶えてない」という事実がハッキリ認められると思う。


高次脳機能障害には他にもいろいろあり…

もしかすると世の中には
周りの人間にだけでなく本人自身にすら
ハッキリ認識されない・できないまま
この障害に該当するものを持ってる人も、
意外といるのではないかと思ったりする。


障害の分類は ともかく、
何の障害もなく人生を過ごす人はいないのかもしれない。


障害も個性の一つ と考える。
そのようなことを唱える人達もいるし、私もそう思ったりする。


障害が個性ならば、
障害のない人はいないはずだ。

個性のない人がいる とするなら 話は別だけど。

障害も個性と考えるなら、
いわゆる障害者に限定せず

障害を認める・受け入れるのが常識にならないとおかしいと思う。



生きるのに支障のある 個性 というか、1人1人個別に持つ特徴。

一般的に、
短所や欠点とか 不得意とか ナントカ音痴等と呼ばれるものと

いわゆる 心身障害と

この両者の間に

ハッキリ線を引くべき? というか引けるのだろうか?


確かに、生きるうえで 大きな支障があるものは

きちんと、「障害」として認定したほうが

周りにとっても本人にとっても都合が良いと思う。


とはいえ、この「障害」に 差別・偏見 というものをなくすのなら…


いっそ、
人間には、個人差があるけれど
すべての人に皆、障害はあって当然、自然だ

という考えが常識になってしまったらいいのではないかと思う。


すべての人に、名前や生年月日等があるように…

障害は誰にでも必ずある


私は みるく と申します。
とても不器用で 一度に複数のことができません。
パニックになりやすいです。運動音痴だし、方向音痴です。



記憶を維持できない人も、目が見えない人も、足がない人も、
運動神経ゼロの人も、音痴の人も、字がヘタクソな人も、
感情のコントロールがうまくできない人も、
人前で話すのがどうしても苦手な人も、
自分の考えをうまく言葉にできない人も、
運動するとすぐに咳が出てしまう人も、
薬を服用しないと命が保たれない人も、
方向音痴ですぐ迷子になる人も…

人それぞれ多少の差はあれど、

自分の持ってる個性のせいで
不便を感じたり、とても困ったり、悩んだり傷ついたり、
時には あからさまにイジメられたり、
日々生活するのに、他の人以上に手間や時間がかかってしまったり、
やりたいことが どうしてもできなかったり…


一人では生活できないほど大きな障害のある人には
支援が当然必要で


一人で生きられないのは 誰でも同じ
人として当然、自然なことで


程度に差があっても、
人は人に迷惑かけたり支えられたりして生きてゆくのが当たり前。


もちろん、
意図的に人に迷惑かけたり
わざと相手に不快な思いをさせようとするのは
良くないとは思うけれど。


障害は、人なら誰にでも あって 当たり前。
それが社会全体に浸透したら
障害 という言葉は ほんとうは不要になるのかもしれない。

それでも せっかく(?) 障害 という日本語があるのだから
この言葉を、単純なマイナスイメージだけではなく
個性と同等のイメージを持って
自然に使うことができたらいいなと思う。

そうなったら、
履歴書に長所・短所を書くのが普通だったり
自己紹介する時に 自分の名前を名乗るのが当然で
星座や血液型等も言ったりするのは よくあることであるように

自然に

自分の 障害 を堂々と名乗れたり、
それに対しての偏見がなくなったりはしないだろうか?


せっかく自分自身で認識できる障害なら
その障害は、自ら初めから話してしまえばいいし

周りも 気楽に気軽に、
マイナスとしてではなく、当然のこととして

あなたの障害は こんなとこだね♪
と伝えたりできたら…



なんか理想論みたいで…
すぐにどうこうできることではないかもしれないけど…


こんなことを想ってしまう今日この頃の私であります。

あっ! 私の障害の一つに、

簡潔にまとめられず、長々と言葉にしてしまう

というのがあります。これで叱られたり、嫌がられたり
自己嫌悪したり…

自分自身や人との間の障壁になること多い人生です。

でも

障壁を乗り越えられた時、活かせた時
大切な何かを得られているような気もします。


今の自分の想い 忘れずに持ち続けたいなあ


障害も 自分の人生の一部にすぎない。
大きかったり 小さめだったり
たくさんだったり 少しだったり
個人差はあれど
生きてる人に 必ずある 一部分。それだけのこと。

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    Excerpt: 例えば事件、事故なんかは いつ 起きたのかハッキリしている。 何年何月何日。何時かまでハッキリしてる…というか事実として その時 があるから。 Weblog: Radioみるきーくらうん racked: 2008-03-06 01:02