視点 そして 感覚

自分の視点だけで モノを見たり 考えたりするだけでは いけない。
そう思いつつ…
なかなかできなかったりもする。

自分の視点で しっかりモノを見たり 考えたりすることは
とてもとても重要だし。


自分のこの目で見て、感じて、信じてるそれを大切にしたい。

だけど、自分以外の人の目で見た

意見等を聞かせてもらうことは とてもとても大事。


どんなにたくさん他の人の意見を聞いても
どんなに大きく違う意見を聞いても

決して 変わらないものがある。


けれど、それは 芯のようなもので…


シンのまわりをナニで

覆うか…守るか…彩るか


表現するか。


そのへんは色々。


私自身、試行錯誤もある。



抽象的になってしまうけれど、

結局

すべては


愛。


愛は純粋かもしれないが単純ではない。


愛の色は、いつも必ず 美しいとか清らかとかそういうものに見えるとは限らない。


それを どんな目で見るか

どんな心で受けとるか 感じるか…



愛の色を伝えることも難しいが

愛の色を受けとることの方が 実は 難しいのかもしれない。


そして、相手が受けとったことを 感じることも…


時に複雑な いろあい にもなるし。



シンは何色で包まれてる?

どんな色が重なっている?


シンそのものの色は見ることはできない。



感じるしかない。



だから人はアイたくなる。




事実や事柄だけでなく、

人には心があるから

その心を感じたくなる。



物事を事務的に処理する時、心は邪魔になることもある。



なんのために

人は

物事を事務的に処理するの?



人のためなのに。



心があれば とても単純なことなのに。



忙しさや、

心よりも魅力的に見えてしまう 力や利益の数々に

埋もれ





どこにあるの?

どこかにあるの?




心で接したら 心は動く。

言葉だけでは難しいこともある。


言葉だけでも心は届いたり受けとったりもできるのに…


どんな視点で その言葉を見る? 感じる? 受けとる?




軽はずみな気持ちで人を責めることはしたくない。苦手だ。
だけど今まで出会ったことのない人々に接して感じた。
やはり ためらわず、注意を促すことは大切だ。

結局 人は表面で判断しがち。

私自身 そうなってしまうこともあると思うし…


でも その表面を見て その表面から

ナニカ

それこそ言葉にできないようなナニカを


感じた時


その感覚を信じたい。


結局、自分の視点が 始点であり、支点となる。

何か揺らいでも 決して揺るがない動じないものは小さくたって構わない。

芯となる心。小心者でも大丈夫。


小さくても変わらないソレが重要だ。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック