お盆の時季ですし…

お盆の時季、ということもあり、今回 少し
あらためて、書いてみたいことを書きます。

うーなんといいますか。私は、基本的には
いわゆるスピリチュアルな人間だと思います。
だけど、それを ここで 強く表す必要はないと考えています。

私は無宗教ですし、
いわゆるスピリチュアル好きな方々がなさってる行為なんかを
特にしてるわけじゃないし。
(新月に願い事を紙に書く、というのは面白いので
去年の秋に知った時から続けてます♪
自分を見つめるのに役立つと想うし。)

そっち方面の専門用語?みたいな言葉もあまり知らないです。

だけど、そういうものに抵抗はないです。

ただし、抵抗がないゆえに、反発のような気持ちもあります。


宗教も含め、スピリチャル と称されるものについて。
(特に、巷で「表面的に流れてるもの・伝わるもののイメージ」について)


人を、人間を、信じることができない人が
そういうものを信じるのは非常に危険だと思います。

けれど、
そういうものを信じたことによって、
人を信じられるようになるならば、非常に有効なものだと考えます。


要するに、目には見えないものを感じたり大切にしたりするのに
役立つ存在だと想うのです。スピリチュアルなものって。
(すんごい冷めた言い方すると、ですが。)


目には見えない 憎悪なんかを感じて固執しやすくなるくらいなら
目には見えないものなんて信じなければいいと思います。

目には見えないけれど確かにある 自分への確かな愛情を
感じるのがヘタクソな人間は
それらを感じられるよう、信じられるよう
スピリチュアルなものを信じることから始めてみるのも
一つの手かなと想ったりします。


結局のところ、人が一番感じなければならないのは
人からの愛情です。

そうなれるよう、こっそり見守ってくれるのがスピリチュアルな存在です。

人間が一番、助けを求めなければならない相手は
人間です。

そんな相手と出会えるよう、そんな相手に気づけるよう
こっそりサインをおくってくれるのが
スピリチュアルな存在かもしれません。


目に見えない存在に感謝することは、
目に見える人・
同じ時に同じ世界に同じように生きてる人に感謝できる人生と
繋がるためです。


私はお盆の祭事はしません。
というか、節目節目の法事すら一切してません。
これが良いとはいいません。

けれど、それをできずに不安になることなんて
誰も望んでないような気がしてます。目に見えない方々も。


カタチは大切だったりします。
でも、一番大事にしたいのは、なぜそのカタチがうまれたのか。

形を大切にすることで、心が安らぎ、
感謝しやすくなることも大いにあると考えます。


要は、どうしたら安心できるか、どうしたら心地好いか。


私が選ぶカタチはコトバです。
コレが好きだし、安心できるし、心地好く、キモチイイから。

大切にしたい存在にはコトバをおくります。


これが私のイキカタです。

(といっても、コトバをおくりはしないけど、大切に想ってる人達もいます。
そのぶん、私のコトバが
私の知らない人達に もしも届いたら 嬉しく思います)


今、この世界に生きてる人達へ。ありがとうございます。


今まで この世界で生きてきた方々へ
あらためまして

どうもありがとうございます。

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