いじめ について考える

最近の僕は、いろんなことを考えて、それを言葉にしたくてたまらなくなっている。
そのなかの一つ。いじめ

いじめそのものは消えなくても仕方ないと僕は思ってる。
ただ、消えてほしいと願うのは、
いじめ と呼ばれることに遭遇したことで 死を選ぶ人の存在。

先日、僕はここで いじめは地震? なんてことを書いた。
地震に遇って、酷い体験をし、それこそ死にたいと思うくらいの
大変な苦労をなさった方々は
この日本という国に非常にたくさんいらっしゃると思います。
そして、それを乗り越えている方々がいてくださるからこそ、
今の日本があります。この国は地震大国ですから。

ご年輩の方から、赤ちゃんまで…みんなでそれを乗り越えた。
被害者と、そうでない者達が協力し合って。

僕個人としては…何もしていません。祈ることしか…。
だから、僕が偉そうなことなんて言えないのは自分自身でよぉぉくわかってる。
じゃあ、僕に何が出来る?
僕が感じる心をここで書くことくらいしか、僕には出来ない。

地震を乗り越えつつここまで育った国の国民が、
いじめ(に限定せず困難)を乗り越えられないわけがない!

地震の国にうまれたからには、それを乗り越える自信くらいは持ちたい。
自分自身を信じられなくても、僕は自信を持てない人間だけど、
この血を、この国の人たちを、この国そのものを信じたい。
僕も一国民として、そういう意味での愛国心は持っていたい。

この国は、地震の時、何度も何度も助け合ってナニカを乗り越えつづけてきた。
二年前『救命病棟24時』というドラマでも、その乗り越える姿を丁寧に
描いてくれていたと思う。
そのドラマが流れているとき、僕は僕自身の困難を抱えていた。
だけど、僕は、このドラマから勇気や希望をもらいながら
自分なりに乗り越えようと試みていた。うまくは乗り越えられなかったかもしれない。
でも、後悔はしていない。自慢できるような結果は何一つ出せなかったけど
得たものは非常に多い。真剣に懸命に本気で向き合ったから。
一人じゃなかった。独りでたくさん考えたけど、僕の周りには
僕を応援してくれる人、助けてくれる人たちがいてくれたから。
裏切られたと感じたときもあるけれど、それすら、今となれば
良い経験だ。あの思いがなければ、僕はナニカを得られずにいたと思うから。

いじめ問題だからって、いじめのことだけ考えるのはやめませんか?
いじめを「いじめ」から切り離したとき、新たな視点、考え、発想が
うまれるかもしれません。それで楽になるかもしれません。
楽しめるかもしれません。

うまく言えなくてごめんなさい…
これが、今の僕なりの、僕からのメッセージです。

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