本当に大事なもの

こどもの詩」について


子どもの詩で『けいろうの日』とくれば、
孫と祖父母との交流からうまれた詩であることは
想像しやすいかもしれないですよね☆

そして、「笑顔」「涙」とくるわけです。

私は、自分が この詩のような
祖父母との交流を味わった記憶がないので
少しうらやましかったりします。

このような交流を経験した子どもと
経験しなかった子どもとでは、
やはり 差 が 出るかもしれないなあ
と想ったりします。

とはいえ、この詩の根っこに流れているものは
孫と祖父母の関係に限ったことでなく

ずばり長田さんが言葉にした

「本当に大事なもの」

であるわけで…


人と人とが交流し、そこに
笑顔も涙もうまれる。

とても当たり前の自然なこと。


自分と自分が触れ合って
笑顔や涙がうまれる時間があっていいと思うし、
そういう時間も必要だと想う。

だけど、やっぱり、自分以外の
人や作品に触れることで
人は笑顔になるし涙もこぼす。

ありふれてるけれど、
これは人としての真実の姿だから

やっぱ これは 本当に大事なもの だよなあ。


おばあちゃんとか おじいちゃんとか
血の繋がった縁は私は恵まれてないというか
大事にできていないけれど、
そのぶん、
大切な縁は ちゃんと授かって
恵まれていると思うから

本当に大事なもの

ちゃんと大事に
大切に生きてゆきたい。


言葉にすることだけが
大事にすることではない。
けれど、
大事な人には、どうしても
言葉にしたくなる。

私は 言葉を大事にしたい 人間だから…

言葉に偏ってしまってるかもしれないけれど…


ごめんね ありがとう
偏りを少なからず自覚してるから
言葉にするたび
ありがとう と ともに ごめんね も
うまれたりすることもある。


真実の涙は うれし涙が多い。
そんな気がするけど、

ごめんねを感じるとき、
そこに うれしさにつながるなにかもある気がする。

それこそ、さみしさ、かなしさを感じるときも。


結局、好きだから、大切だから
涙がこぼれる

それが真実で

本当に大事なものなんだなあと

当たり前のことを
くりかえし、
こうして
言葉にしてみたくなる。

結局、うれしい
好き とか、大切に であえること
繋がることそのものが。


私は過剰になることも多いと思うから
どうしても ごめんね は
感じてしまうこと多い。


こうして 言葉数が多すぎることも。


ごめんなさい。



町に住んでるので、ゆきかう電線は
あまりにも当たり前で…

電線を支えてる電柱も珍しくなく…

例えば、そういうものに自然と反応できたりする人は
やっぱり…うらやましい♪ 尊敬できたりする。

なんとなく…間接的に伝えたいこともある。
伝わるかわかんないのに。
それでも届いたらいいなあと
まるで伝書鳩を飛ばすように
デンパとばしねがうようにここからことばをおくりだしてみる。

むいしきにことばとぱたぱたとびたつよ

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