自分を見つめながら

何が正しくて、何が間違ってるのか
答えを一つに決められないことは多い。

だけど、世の中、多数派が正しくて、少数派は間違い
というか、
一つに決めなきゃいけないことは、多数決で決めてたりする。

一つに決めなきゃいけないことも多いから…。

そんな決め方を簡単には「良くない」「やめろ」なんて言えない。


単純なのは、
結局、「自分の答え」は自分にしかない。


周りのすべての人に、「それは間違ってる」と言われても

自分が信じてるものは どこまでも信じていきたい。


もちろん、いろんな人の意見に耳を傾けることは大事だし、
たくさん学べることはあるけれど。


多くの人が「良い」と言ってることで、
自分も「良い」と感じ、したいことはする。

そして、
多くの人が「良くない」と言ってることでも、
自分が「良い」と感じ、したいことをする。

それをするには覚悟はいるけれど。


信じるものを信じる。


世の中に流れる声を耳にし、揺らぐ自分がいることもある。


世の中に流れる声が間違いだと言いたいわけじゃない。


今、「私の」目の前にある それ と全く同じものを知ってる人は
他にいる?

もしも、いるなら、それは、
今、私の目の前にいる人だ。

それなら私は、私自身と、
目の前の たった一人の声を とことん聞きたい。


もし、その人と自分が違ったら、
どっちが間違いとか正しいとか、そんなんじゃなくて

言葉を 想いを 出来る限りを
交し合い
そしてうまれたそれを感じて信じて進めてゆきたい。一つ一つ。

これが私のイキカタ。

簡単ではない、かな。
楽でもない、かも。
だけどこれが楽しいと思う。こんな楽しさも感じながら生きる。
そしたらいっぱい泣いても、結局、笑ってる。


そうだよね? と聞かれたら、私は私に「はい」と答える。



私の目の前にいるのは、けっこう しんどいかもな、と思う。
これが私と向き合ってる私の正直な感想。

だから…

ただ隣にいてみたい、なんてことを思ってしまいます。
これが素直な私の気持ちです。


私の気持ちは私の気持ち。


私の目の前にいたいかどうかは、私の目の前にいる人の気持ち。



社会に生きてる者の一人として、社会は大切ですが
社会ぜんぶの気持ちなんて知りようがない。

世の中を生きながら、世の中も見ながら
私は、ただ
私の目の前の一つをまず見たい。
私が見たい 一つ一つを 見てゆきたい。

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